演出家の運命論について

2018年06月01日

『A3!』二次創作小説 密誉 2017年9月14日

「ずっと前から特別だったよ」

誉さんが不思議な病気にかかる話



 御影密の覚醒には時間がかかる。眠りにつくのは一瞬だけれど、目を覚ますのには随分時間を要するのだ。マシュマロを与えて、肩をつついて、なんとか浮上した意識を保たせる。やっと起きたと思ったら、やっぱり眠気に敵わずに、再び眠ってしまうのが常だった。
 そういうわけで、御影密が目を覚ましてすぐに意識を覚醒させることはほとんど無いことなのだ。
 だから、「有栖川が倒れた」と顔を真っ青にして丞が知らせた時、文字通り飛び起きた密は、後にも先にも例がない。
 さて、天才にはドレスコードがある。それは、えてして生涯を短く終える、ということだ。短命とはその有り余る才能への対価なのかもしれないけれど、あくまで「自称」天才だからだろうか。有栖川誉は二十七クラブにめでたく追加されかけて、しかしなんとか一命を取り留めたらしい。
 病院に飛んでいった監督から、寮に残った劇団員が電話で状況を聞き出すと、倒れた原因は脳梗塞とのことだった。幸い血栓を溶かす薬物治療が上手くいったとのことで、現在は入院をしているらしい。少しでも病院に運び込まれるのが遅かったら、最悪の事態もありえたそうだった。なんの前触れもなく急に脳梗塞を発症するとは考えにくい。だからこれからは検査をして、その結果を待たなくてはならない。
 密にとって、原因なんてどうでもいいことだった。大切なのは、有栖川誉が倒れたことで、つまり、いよいよ自分の戦いが始まったということだった。
「検査の結果が出たそうです」
 数日後、寮に帰って来た監督と、付き添っていった左京は難しい顔をしていた。事態がそう単純なことではない、とその表情にありありと描かれている。密は監督の言葉を待った。集められた団員達も同じように、息を呑んだ。
「まず、誉さんが意識を取り戻しました。会話も問題なく、元気なように見えました。それは伝えておきますね」
 監督の言葉に、団員はほっと胸を撫で下ろした。今はまだ、誉が生きている。それだけでも十分に安心できた。しかしそれでは、監督と左京の表情に説明がつかない。事態は単純ではないのだ。
「そして検査の結果、誉さんは、後天性播種性血液硬化症ということでした」
 聞いたことのないような病名が、絶望感を加速させる。「それ、どんな病気、なんですか」と紬が質問して、監督は言葉に詰まった。どう説明したらいいのか分からない、といった様子だった。代わりに左京が口を開いた。
「なんでも、血液が固まっちまう病気らしい。今回はそれが脳に起こった。だから、あいつは倒れた」
「左京にい! はしゅせい? ってなんすか?」
 顔を青くしている太一が左京に尋ねた。
「播種性というのは、それが全身に起こる可能性があるということだ。つまり、血液硬化はあいつの身体のどこにでも起こる可能性がある。今回みたいに脳にも、手足の先にも、心臓にも」
「それ、治るんですよね......?」
 咲也が無理に笑顔を作りながら聞いた。左京は監督と顔を見合わせて、どう表現しようか、と目だけで相談した。談話室はしぃんと静まり返っている。やがて、左京が「治ることには、治る」と言った。
「毒によって発症する病なんだそうだ。だから、血清があれば治る。......逆に言えば、血清がなければどうしようもないってことだ」
「じゃあ! その血清が見つかればいいんですよね......!」
 ぱあっと表情を明るくした咲也に、現実の厳しさというものを教えてやる苦しさと言ったら! 監督は硬直してしまっていて、泣き出しそうだった。左京は咲也に心の中で謝りながら、現実を叩きつける。
「......新種の病気だ。血清は、多分、ない」
 その後、ほとんど葬式みたいになってしまった談話室で詳しい説明がされた。後天性播種性血液硬化症は特定の毒物によって人為的に引き起こされた病だろう、というのが医者の見解で、世界的に見ても発症例がないそうだった。難病であることには間違いがなく、ただ血液が固まってしまうだけなら薬剤投与を続けることで生きていけるのだけれど、誉の場合はその血液に鉱物が含まれていた。どうやったって、やがてどこかの血管が詰まって、そうして死んでしまう。
 加えて、血液検査の結果その血液に含まれる鉱物がルビーだった、というのが現実離れしていて、誉によくお似合いだった。薬剤で血栓を溶かしたところで、少しずつルビーが血管に溜まっていく。やがてそれが結晶になった時が誉の最期なのだという。まるでおとぎ話のようだった。
 そういうわけで、後天性播種性血液硬化症は、通称宝石病と呼ばれることになった。なんだかとってもロマンチックだ。全くもって、笑えない!
 密は毎日病院に通った。
 誉は自身の病状を聞かされているらしく、「困ったことになってしまったよ」と言いながら、ベッドの上で詩を書いていた。
「いや、本当に。困った。確かにワタシは天才だからね。これもまた運命なのかもしれないけれど、まだまだやり残したことがたくさんある。詩だってそうだし、キミとももっと親しくなりたかった」
「でも、アリス、ちょっと嬉しそう」
 困った困ったと言いながら、誉の瞳は爛々と輝いているのだった。ルビーみたいだ、と密は思った。心なしか、誉の赤い髪もきらきら光っているように見える。
「......実は、少しだけ嬉しいんだ。こんなことを言ったら、心配してくれる団員のみんなに申し訳ないのだけれど。だって、密くん。すごいと思わないかい?ワタシの血には宝石が流れているなんて」
 誉は恍惚の笑みを浮かべた。密は呆れてしまって、でもまあこれがアリスだよなあ、と納得する。
「ワタシは、おとぎ話のような美しさが大好きなんだ。劇的な最期を迎えたいと、ずっとそう思っていた。これは天才にふさわしい最期だ。そう思わないかい?」
「はあ」
 誉の劇的な最期願望についてはずっと聞かされていたものだったから、密はまたこれか、と思った。誉は二十七歳で死ぬことに対して異常なまでにこだわっていて、密はその話を聞くたびにうんざりしていたのだ。
「正直言ってね、この病気にかかっていなかったら、年内に死んでしまおうと思っていたんだ。ワタシが二十七歳でいる間に。ワタシが真の天才になれる可能性を持っている間に」
 誉はすっかり興奮状態だ。喋ること喋ること、口が回り続ける。誉に取り付けられている心電図の、規則正しいピッピッピッ、という音が速くなっていく。
「しかし! ワタシはこんな病気にかかってしまった! 世界の誰もがかかったことのない病気だ。ワタシは世界の誰より特別で、宝石を遺して死んでゆく。天才だ。天才にふさわしい最期だ」
 現実は小説より奇なり! ワタシは美しく死んでいこう! そう言い切ると、今度は詩興が湧いた! と叫び、万年筆で何かに取り憑かれたように詩を書き綴った。最近スランプ気味だとかで、クマを作って呪詛のように「芸術が、芸術が」と繰り返していた姿とはかけ離れている。
「アリスはこのまま死んでもいいの?」
「ああ。それでも構わないと思っているよ。ただ、」
 誉は一心不乱に動かしていた手を止めて、手帳から顔を上げた。そうして密を見て、眉を下げた。
「──ただ先程も言ったが、心残りはあるんだ。もっと詩を作りたかった。演劇を極めたかった。それに、もっとキミと一緒に過ごしたかった」
「おとぎ話みたいに?」
「そうだ。キミが運命の相手なら良かったのに。そうしたら、わざわざ二十七歳で死なずとも、ワタシの人生の全ては美しかっただろう」
 誉は手帳をぱらぱらとめくり、目を伏せて自身の詩を眺めていた。密は、誉に二十七歳で死ぬ、なんて言ってほしくなかった。もっと長く、一緒に生きてほしかった。おとぎ話でもなんでも用意してやるから、どうか自分と共に。
「しかしワタシは不治の病だ。これが治るとは到底思えない。だから、甘んじてこれを受け入れよう。ここから血清が見つかって、それで病が治るなんて、それこそおとぎ話じゃないか」
 劇的な終わりを求める理由が、特別になるためなのだとしたら。密の中で、誉はすでに特別だった。
「......ねえ、アリス」
「なんだい?」
「オレが。オレの血が血清だったら。アリスは、どうする?」
 誉は目を瞬かせて、やがて微笑んだ。
「......それは、きっと運命だね」
 おとぎ話は作り物だから、現実には起こらない。──無いなら作り出せばいい。劇的な美しさだって、運命の赤い糸だって。密は誉に生きていてほしかったし、誉に自分が運命の人だと認めてほしかった。
 誉が倒れたという知らせを受けた時、さあいよいよ始まったと、密はこっそり歓喜に震えたのだ。
 数日後、誉の病は完治した。まるでおとぎ話のようだけれど、同室に暮らす御影密の血液に、病を治すための成分が含まれていることが発覚したのだ。誉は自身の人生を劇的なものだと称した。誰もが見つからないだろうと絶望した血清の持ち主は、同室に暮らす記憶喪失の男だったのだ。
 そして、数ヶ月後には健康に誕生日を迎えて、誉は二十八歳になった。彼は難病を奇跡の力で乗り越えた特別な人になったから、二十七歳の呪縛から解き放たれたのだ。
 言わずもがな、誉に奇跡を与えたのは密だった。密は誉の運命の人だったから、誉の二十八歳の誕生日も、その後の誕生日も一緒に迎えた。
 おとぎ話は作られるものだ。密はそう思っている。

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