神様はいなくなった

2018年06月01日

『A3!』二次創作小説 密誉 2017年9月30日

「信者なんて一人で十分」

生贄にされた密くんと、現人神として祀られる誉さんの話



 嘘つき! 密は叫び出しそうだった。汗が眉間を伝っていくのも気にせず、密はぐっと口の中の布を噛んだ。一目見て分かったのだ。アレは、神様なんかじゃない! 今すぐにでも、自分を拘束している村人達に真実を教えてやりたい気分だ。しかし猿轡を噛まされた口では、息をするのもやっとだった。無理な角度で拘束された腕がきりきりと痛んでいる。必死にもがいたから、縛られた箇所は赤くなって熱を持っていた。
「狐様。贄を捧げます」
 背中をぐいぐい押されて、密はつんのめりそうになりながら進み出た。つやつやと板間を光らせている堂の奥には、金色の壁紙が貼られている。周囲よりも一段高くなっているその場所には、本来仏が収まっているはずなのだ。だというのに、そこに仏の姿はない。
 代わりにあるのは、頬杖をついて胡座をかいている、狐の面をつけた人型の姿だった。
 性別は分からなかった。白く輝く衣を纏い、肩には金の飾り布を引っ掛けている。なんとも妙な格好だった。胸元には紅白のしめ縄飾りが蝶々結びになっていて、梵天と一緒に鈴が三つ揺れている。何より特徴的なのは、顔をすっかり狐面に覆われているということだった。そのせいで、密にはこの妙な格好の者が、男なのか女なのか、はたまた人間なのかが分からなかったのだ。
 しかし、密には確信があった。それは、この奇妙な者は絶対に神様なんかではないということだ。
「そうか。ご苦労」
 張りのある声だった。それを聞いて、密は人型の正体はまだ若い男だろう、と推測した。妙な狐面の怪しい男は、この村ではどうやら神として信仰されているらしい。
「キミ。名はなんと言うんだい」
 狐面の男が尋ねた。座布団の上で男が姿勢を正して首を傾げたので、鈴がしゃらん、と音を立てた。澄んでいて、ひんやりとした蒼い音だった。蝉の声ばかりが響く真夏の堂の中で、唯一心地良いと密は思った。
「おい、名乗れ」
 噛まされた時と同じ強引さで、猿轡がはずされた。密は恨みがましく自分を拘束した男を見て、それからゆるゆると視線を堂の奥へ移した。
「御影密」
 ぶっきらぼうに密がそう名乗ると、村人は無礼者! と密の背を木の丸棒で打った。びしり、と叩かれ息が詰まる。衝撃に咳き込むと、やがて背が熱を持ってじんじん痛み出す。そうして、密はやっと呼吸を取り戻した。
「いや、良いのだ。そう虐めてやらないでおくれ」
「狐様。しかし......」
「ワタシが良いと言うのだ。暫し下がっていたまえ。この者と二人きりになりたいのだ」
 面の男がそう言うと、村人たちは引き下がってぞろぞろと堂から出ていった。ピシャリ、と襖が閉められて、村人達の足音が遠くなっていく。──二人きりになってしまった。何をされるか分からない恐怖で、密は硬直していた。
「......キミは生贄としてここにやって来たんだね」
密を見据えて、面の男が言った。なんだかさっきよりも、丸みを帯びているような声だった。密はどう答えるのが正解なのだろう、と思いながら真実だけを口にする。
「はい」
「キミは元々村の人間なのかい?」
「......ううん。オレは、つい三日くらい前、村の前に倒れてた」
 密には記憶というものが無かった。気がついたら、この村の門の前に倒れていたのだ。
 密が最初に見たのは、自分をつつく見張りの男の姿だった。密がゆるり、目を開くと、見張りの男は「ひっ」と声をあげて、ばけもの、と呟いた。村人から見れば、密の姿は異形そのものだったのだ。髪は銀色で、おまけに瞳は翠色ときた。山からやって来た妖怪の類だろうと勝手に話を進められ、話すら聞いてもらえずに密は捕らえられた。自身の過去を全く覚えていないから、もしかしたら村人たちのいうように、自分は妖怪なのかもしれない。けれど、一方的な暴力というのは酷い。ただ正体が分からないからといって、一切言い分を聞いてくれようとはしないのだ。
 三日間、最低限の水と食事だけを与えられて、あとは殴る蹴るときた。密は妖怪の類でもなんでもないただの人間だったから、傷は増えるばかりでどんどんと弱っていく。だというのに、三日間のうちに密はすっかり化け物として村中に認知されてしまったのだった。
 いつまでも化け物を村で飼っておくわけにもいかぬ。しかしながら、殺してしまっては死後に呪われるかもしれない。密が容赦のない暴力に耐えていた頃、村人たちの悩みはもっぱら化け物の処理方法だった。
 そこで提案されたのが、村で信仰している神のもとに供物として捧げてしまう、ということだった。何ヶ月かに一度、村の神社の堂に住む神の元に生贄を捧げることが慣しとなっていたのだ。時期的にも丁度良い。化け物を排除して、さらには村の若い者を失わずに済む。一石二鳥とはこのことだ。こうして密は、三日間の後に狐の堂へと連れてこられたのだった。
 密はすっかり自分の身の上を話してしまうと、「それだけ。煮るなり焼くなり、好きにして」と投げやりに言って、板間にどっかり腰を下ろした。
「......キミの話を聞いていると、なんだか昔を思い出すね」
 神妙に話を聞いていた男は数回深く頷いて、大変な思いをしたのだね、と慰めの言葉をかけた。
「昔?」
「ワタシがまだ人であった時のことだよ」
 狐面の男はまたしゃらん、と鈴を鳴らして顎に手をあてた。
「ワタシはね、元々人だったんだ。生まれはこの村だ。しかし、生まれてすぐに神となった」
 言葉の意味を図りかねて密が首を傾げると、男は続けた。
「ワタシの髪と瞳は、紅色をしていてね。ここの人達は、みんな黒色をしているだろう? だから、生まれた時点で特別扱いさ。望めば何だって与えられた」
 そう語る男が妙に小さく見えて、密は、やっぱり神様なんて嘘じゃないか、と思った。美しく飾られて、小さいながらも立派な堂で暮らしているというのに、ちんまり座布団に収まっている彼は酷く惨めに見えた。しゃらん。彼の鈴が鳴った。蒼色の音だった。
 寂しい。彼がそう叫ぶ音だった。
「ワタシが不自由なく暮らしてくることができたのは、人々がワタシを恐れたからだ。無論、愛がなかったとは言わないさ。しかし、生みの親でさえワタシを怖がっていた。ワタシが成長するにつれて、村人たちの怯えは大きくなっていってね。元が人であることを忘れてしまったのだろうか。直接顔を見たりなんてしたら、目が潰れてしまうなんて。いつしかそう囁かれるようになっていった」
 その結果がこれさ、と男は自身の狐面をコツコツと指先で叩いた。密には、それが邪魔だとしか思えなかった。
「ここ数年じゃ、生贄なんてものが捧げられるようになってしまった。......君と同じように、みんな村で厄介者扱いされている者ばかりだったよ。彼らはみんな逃してしまった。今ではきっと、新しい人生が始まっているはずさ」
 そこまで言うと、男は鈴を鳴らしながら立ち上がった。つかつか歩いて祭壇の隅に向かうと、何かを確かめるように金色の壁を撫でた。何をするつもりなのだろう。密は固唾を呑んだ。
 やがてカタン、と軽い音を立て、薄い板が外された。金色の壁に、ぽっかり穴が空いている。隠し扉を探していたのだ、と密は気がついた。
「さあ、キミも行くと良い。そうして、今度は捕まったりしないように。人として生きるんだ」
 密はゆるゆると立ち上がって、祭壇に上がった。男の示している抜け穴は、森の奥へと続いている。蝉の鳴く声がより一層大きく聞こえた。
 男は懐に忍ばせていた短刀で、密の腕を縛る縄を切った。密は久々に自由となった己の両手を確かめる。男はその様子を黙って見守った。そうして、異常がないと分かると密の背を押した。
「村人に気づかれてしまうかもしれないからね。さあさあ、急いで行きたまえ」
 男の鈴がしゃらんしゃらんと騒ぎ立てる。
 ──蒼い音だ。
 密はたまらなくなって振り返り、男の腕を掴んだ。突如腕を掴まれた男は驚きからびしりと硬直して、一緒に鈴の音も静かになる。久々に触れる人の体温というものに慣れていないのだ。しぃんとした堂のつやつや光る板間には、蝉の声だけが反響していた。
「ほら、あなたも行くよ」
「えっ」
 男は裏返った声をあげた。それを気にせず、密はぐいぐいと男の腕を引っ張って、抜け穴から逃げ出した。しっかり蓋をすることも忘れず、密はずんずん森の奥へと進んで行く。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ! キミ、ワタシはここに留まらなくては......」
「なんで?」
 密が鋭く質問すると、分かりやすく男は狼狽える。「だって、それは......。ワタシは、この村の神だ」としどろもどろになりながら答えた。
「嘘つき。あなたも、オレも、人間だ」
 密は男の頭に手を回した。びくり、と男が肩を揺らして後ずさる。密はその分の距離を詰めて、男の顔を覆っていた狐の面を取り払った。乾いた音で、面は地面に落ちた。
「ほら。オレは無事」
 男の瞳は、彼がそう言っていたように紅色をしていた。切れ長のそれは見開かれて、きらきら瞬いている。綺麗だ、と密は思った。神様にされてしまうのも納得である。それほどに、浮世離れした、恐ろしいまでに整った顔立ちだった。美しい男はへなへなと座り込んで、「そうか、そうだな。ワタシは人間だった」と確かめるように呟いた。
「改めて、オレは御影密。化け物なんかじゃない、ただの人間」
 あなたは? 密が尋ねると、男は呆然と密を見上げた。
「ワタシは、有栖川誉という。人間だった時、両親から貰うはずだった名だ」
「じゃあ、オレはアリスって呼ぶから」
 その懐に忍ばせた短刀が神を殺してしまう前に。密は神様をただの人間に戻すのだ。
「逃げよ。ただの人間の、アリス」
 夏の暑い盛りに、神様がいなくなったのだという。小さいけれど、立派で綺麗なお堂には、蝉の声だけが響いていた。
 鈴の音はもう鳴らない。

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