箱庭の住人でありたい

2018年06月01日

『おそ松さん』二次創作小説 一カラ 殺人描写有 2016年1月頃

優しさがずれてるカラ松くんと怖い長男



一松がそれを理解するには、おおよそ時間が足りなかった。懸命になにか声に出そうとしても、喉が引きつって音にもならない息が漏れるだけだった。
 都会の喧騒と、趣味の悪い派手なネオンから隠れるように、カラ松は路地裏に佇んでいる。ドクロマークの黒の革ジャンに、スキニーデニム。普段からよく目にするものだったけれど、改めて夜見るといかにもといった風貌だった。いわゆる、ヤのつくあれやこれや。
 見慣れたカラ松のファッションにも関わらず、さっきからずっと、一松は身体の震えを止められないでいる。カラ松が柄の悪い人間に見えたからではない。そのままついに、一松は右手に引っかけていたレジ袋を落とした。がらがらと音をたてて、中に入っていた猫缶が転がる。今日わざわざこんな街の建造物の隙間ににやって来たのは、猫に会うためだったけれど、もうここには来られないかもしれないと一松は頭の隅で考えた。ここは気に入っていたので、ひどく憂鬱な気分になった。
 一松が猫缶を落とした音に気がついたのか、カラ松がゆっくりと振り返る。悠々としていて、どこか芝居がかった動きだ。一松は今目にしているこの光景が、全て劇の中のワンシーンならどんなに良いだろうと望んで、現実逃避する自分を嗤った。実際には頬が引き攣って、笑顔とは程遠いものだったけれど。カラ松は訝しげな眼差しをこちらに寄越して、しばらくしてから逆光に目が慣れたのか、カラ松の特徴的な眉がへにゃと下がった。目線がはっきりと一松を捉える。
「一松」
 その瞬間、せり上がってきたものを堪えられずに一松は嘔吐いた。「大丈夫か!?」と持っていたものを手放して、カラ松は一松に駆け寄った。途端あたりの血の匂いがむっと強くなり、一松は目に涙を溜めた。
 ああ、この男は誰だろう。
 水でも買ってこようかと背中をさする手は、二十数年をともにしていれば当然分かるものだった。節くれだった大きな手。ギターのせいだか指先がすこし硬い。紛れもないカラ松の手だ。理解はしていた。ただこの現状を、自分が受け入れたくないだけで。
「カラ松」
 なんだ?と答える実の兄は、それはまるでフィクションのように血に濡れていた。明かりの少ない路地裏で、さらに暗いその場所には先程カラ松が放り投げるように手放した死体があるのだろう。
 とんでもないことになってしまった。一松は泣き出しそうになりながら、ひび割れたアスファルトの地面を睨む。だって、散々イタいだのサイコパスだのと罵ってきたけれど、カラ松は優しい男だった。上司とか殺しそうと評された一松とは違って、言動こそ痛々しいものの無害な存在だったはずだ。
  ところがどういうことだろうか、カラ松は人を殺めてしまった。揺るぎようのない事実だった。だってついさっき、この目で見てしまった。何が起きたか分からないといった表情の男を、カラ松は刃渡り十数センチのナイフで、迷うことなく片付けた。
 憔悴しきった一松に対して、カラ松はいつものように飄々とした態度だった。傍から見れば殺人者は一松だと思われて相違ない光景だった。しかし蛍光灯の光の隙間を縫うように、暗がりに倒れている死体は間違いなくカラ松が作り出したのだと、カラ松の返り血を浴びた顔が、服が、何より手に持っていた凶器が告げている。一松に駆け寄ったときに死体と一緒に放り出されたそれは、アスファルトのひびに突き刺さって鈍く光っていた。
 ......とりあえず、まずは死体をどうにかしないと。
 一通り取り乱した後の一松はひどく冷静だった。一松はもともと頭の回転は早い方だ。ならこんな所で吐いてる場合じゃない。行動しろ。早くなんとかしないと、これは間違いなく豚箱行きは確定だろう。成人して無職で、さらには殺人の前科ありだなんて本当に笑えない話だ。ここまで面倒を見てくれた両親に、顔向けも出来ない。
 まず、こういった時どうするべきか。どうにもならない壁にぶち当たった時。
 一松は迷わずパーカーのポケットからスマートフォンを取り出すと、流れるような動作で連絡先から『松野おそ松』を見つけ出した。そのまますぐに「急いでるから、すぐに来て。いつも猫といるところ。」とだけ打ち込む。電話よりは足がつきにくいかと考えてのことだった。それに今おそ松の声を聞いたら一松はきっとまた取り乱して、いざ捜査があった場合決定的な証拠になるだろうと予測したからだ。先ほどまでとは打って変わって、一松は落ち着いて行動していた。にも関わらず、おそ松に連絡を入れたのは半ば無意識だった。おそ松なら、僕らの長男なら絶対にどうにかしてくれるだろうと反射的に思った、ただそれだけのことだ。
 おそ松がここに来れば、きっと何とかなるだろう。さてそれまでに、血だらけのカラ松は一体どうしようか。幸か不幸か、着ていたいつものイタい革ジャンは血を弾いているけれど、スキニーデニムと中に着ていた青のパーカーは血を吸っておかしな色に変色していた。おそ松の到着までに第三者に発見される可能性は、いくら路地裏といえど大いにある。どうか誰も来ませんようにと祈るような気持ちだった。
 さらにまずいのは、視界の端に倒れている死体だ。今も尚出血は止まらず、血だまりは広がり続けている。血はどこまでも赤黒く、どろどろとしていた。
 なにもしないよりは死体をゴミ箱の裏にでも隠したほうがマシだろうかと一松が思案していると、一連の流れを突っ立って、ただぽかんと見ていたカラ松がやっと声をあげた。
「それ、動かすのか?手伝ったほうが良いか?」
 直接触れることははばかられたので、一松は申し訳なさを感じつつも、死体は足で動かすことにした。転がすように蹴るとうつ伏せだった身体が仰向けになったので、なるほど顔がよく見えた。男の髪は中途半端に長くぼさぼさで、肌は土気色をして荒れている。着ているシャツと安っぽいズボンも所々がほつれて汚れが目立った。ホームレスか何かだろうな、と一松は推測した。禿げかかったロゴマークらしきものが描かれたシャツの胸の部分に大きな穴が一つ開いており、死因はやっぱり間違いなく、カラ松が心臓を刺したことなのだと再確認させられてやるせなくなる。
 初めて正面からカラ松が殺した男と向き合って、そういえばカラ松の動機を聞いていないなと一松は思い出した。いくらなんでも、カラ松は何の理由もなしに人を攻撃することはしない。なにかどうしようもない理由があるはずだ。それによってはもしかして、望みは薄いけれど正当防衛だか何かが認められ、カラ松は無罪になるかもしれない。一縷の希望をかけて、一松は重い口を開く。
「......お前さ、なんでこんなことしたの」
 思っていたよりもずっと疲れた声だった。平静を取り繕っても、やっぱり動転してるんじゃないかと他人事のように、一松は自分自身を客観的に品評した。
「可哀想だったからだ」
「可哀想だった?」
 死体の濁った瞳が虚しくカラ松を見上げている。カラ松は特にそれに対して気分を害するわけでもないようで、逆にその瞳を見つめ返している。真っ直ぐな、慈愛にも似た眼差しだった。カラ松はよくそういう眼をしている。世界を愛している、そんな優しい顔をして。
「この人な、家が無いらしいんだ」
「ホームレスなの?」
「まあ、そういうことになるな。それで金も無いから食べ物も買えない。金を頼るあてもない。それでも、金がなくっちゃ生きていけないだろ?困って困って、仕方がないから強盗を決意した」
「もしかしてそれに狙われたのが」
「流石一松、察しが良いな。この俺、カラ松だ」
 バァンと銃を撃つようにして、カラ松はウインクをした。その動作はいつものそれで、一松は寒気を感じた。この状況下で、自分が殺人を犯したという状況に置かれて尚、カラ松は普段と変わらない。一松にはそれが到底理解出来なかった。もし一松が今のカラ松の立場だったとしたら一松はもっと慌てていただろうし、何より罪悪感に押しつぶされていただろう。他人の人生をこの手で奪ってしまったのだから。普通、カラ松は一松よりも気が弱く優しい男だから、一松よりさらに狼狽するに決まっているのだ。けれど、今のカラ松はどうだ。いつもと何ら変わらない。それはカラ松が人を殺しておいて、罪悪感などほんの少しも持ち合わせていないことを示していた。
 ああ、この男は本当にカラ松だろうか。優しい彼が、こんなことするはずがないのに。カラ松は優しくて、しかし馬鹿だから毎度毎度そのベクトルがずれていた。そのせいで空回ることは多かったけれど、一松は存外カラ松を好いていたのだ。
 松野カラ松が殺人なんてするはずがないのに。
 一松は何度目かとも分からない疑問を抱えて座り込んだ。普段あまり吸わないにも関わらず、無性にたばこが恋しくなった。
「あ〜いたいた」
 妙に間延びした、この場に似つかわしくない明るい声。一松が待ちわびた声だった。勢いよく顔をあげると、「探したんだぜ〜?」とおそ松は拗ねたように笑っている。少年の頃から変わらない笑顔だった。それを目にしただけで安心できるような、特別な力でもあるのかと勘ぐりたくなるような笑顔。
「兄貴、どうしてここに?」
  カラ松はおそ松の登場に目を丸くしている。心当たりなど無いようで、純粋な疑問に満ちた質問だった。
「一松から連絡があったんだよ。で、どうしたんだ一松。お前泣きそうじゃん。っていうかカラ松、お前も血だらけだし......。何やってんの二人して」
「おそ松兄さん、あの、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
「うん。分かったけど、まずはお前が落ち着け、な?ゆっくりで良いから」
 おそ松は安心させるように、一松に合わせてしゃがんだ。こういう所が、なんだかんだ言っておそ松は長男なのだと知らしめる。
「冗談とか、そういうのじゃない。本当の事なんだ。カラ松が、人を殺した」
 「......マジで?」
 一松のただならぬ様子に、おそ松もただ事ではないと悟ったようで、カラ松に目を向けた。カラ松は泣きそうな一松におろおろとしていたが、おそ松の視線に気が付き、またきょとんとしている。
「カラ松〜、人殺しちゃったってホント?」
 あくまでもいつもと変わらない調子で、おそ松がカラ松を問う。カラ松はやっと合点がいったようで、頭の疑問詞を取り消した。
「ん?ああ、結果的にはそうなってしまった。ただ、悪気はなかったんだ。その人があまりにも可哀想だったから、助けてあげようと思って」
「......可哀想?どういうこと?それオニーチャンに詳しく教えてくんない?」
「ああ、もちろんいいぞ。」
 そうして、カラ松は語り始めた。
 今日俺はカラ松ガールに出会うため、街に出かけたんだ。いつも同じ場所にいては、出会いも限られると思ってな。たまには場所を変えてみようということだ。それでしばらく街を彷徨いたりしてみたんだが、残念ながら今日は運命の日ではなかったみたいで、カラ松ガールとの邂逅はなかった。まあ焦ることは無い。日も暮れたしまた明日にでも出直そうと俺はマイホームに帰ることにした。だがその前に、もしかしたら一松がいるかもしれないと思って、路地裏を覗いてみた。ほら、いつもここで猫を可愛がってるだろう?そうして俺は路地裏を少し進んで行った。
 ちょうどその時だ。不意に背後から、首に冷たいものがあてられた。直感でナイフだと分かった。「動くな、そのまま進め」と言われて、俺は大人しくそのまま路地裏の奥へと向かうしかなかった。命令的な口調とは裏腹に、その声はひどく震えて嗄れていた。
 そうしてここにたどり着くと、男は俺を離して金を出すように言った。しかし俺はノーマネー、たまたま一銭も持ち合わせていなかった。俺がそう伝えると、男は激昴して「なら殺してやる」とナイフを振りあげた。いよいよこれはまずいと思ったので、俺は男に足払いをして、それでよろけた所を狙って鳩尾に1発、右ストレートを叩き込んだ。本気で人を殴るなんて数年ぶりだったけれど、やんちゃしてた頃と同じように綺麗に決まったよ。男はナイフを手放して、膝から崩れ落ちた。男が倒れ込んで呻いているうちに、ナイフは回収させてもらった。また使われると厄介だったからな。
 そうしてしばらく男は悶絶していたんだが、そのうちにぴたりと動かなくなったので、俺は心配して「大丈夫か?」と声をかけた。男は泣いていた。俺は驚いて、どうしたんだと問いかけた。あまりにもぼろぼろと泣くものだから、俺は何か退っ引きならない理由があるのだろうと察して、俺で良ければ話を聞くと言った。男はさらに涙を流した。
 男の話によれば、職を失い住む場所を失い、さらには家族まで失ったらしい。上司に騙されて、借金を背負い込ませれたそうだ。家も差し押さえられたので、借金取りから逃げ出すように路上生活を送ることになったんだが、如何せん金がなかった。男は、どうせ今が最底辺なんだから、犯罪者になろうが関係ない。むしろ刑務所にでも入れられた方がマシだと思って、強盗を決意した。誰でも良いから、不幸にしてやりたかったんだろうな。
 話を聞いているうちに、俺はこの男が心底可哀想になってきた。男は、俺はどうして生きているんだろうなと。もうこんな人生嫌だと、嘆いていた。なので俺は、もう生きているのが嫌なのか?と聞いた。男は短くそうだ、とだけ答えた。ここで男の意思確認は出来た。ちょっと待ってろ、すぐ楽にしてやる。そう言って男を立たせると、俺は心臓を狙って、ナイフを突き刺した。男は呆然と俺を見ていた。ナイフを引き抜いて、俺が今までよく頑張ったな、と言うが早いか男は倒れた。痛みは無かったと思う。思い切り刺したから、一瞬で意識を失ったはずだ。
「何か、俺は間違ったことをしただろうか」
 それきりあたりは静まり返った。エアコンのファンのぶぅんという音が鮮明に聞こえる。
 一松はただ唖然とカラ松を見つめることしかできなかった。おそ松は腕を組んで、ゴミ箱の裏の死体を眺めている。当のカラ松は首を傾げて、殺してしまったのは申し訳なかったな、と付け足した。
 もはや一松には、カラ松という男が理解出来なかった。可哀想だったから、殺した。はたしてこのような考えに至るまでに、カラ松はどのような思考回路を巡らしたのだろう。間違いに間違いを重ねて、その上に優しさを組み合わせたらそうなるのだろうか。もともとカラ松は努力の方向だとか、優しさの方向だとかがおかしいとは分かっていた。でも一松はその不器用さも含めてらカラ松が好きだった。それを矯正してやらなかったから、こんな事になってしまったのだろうか。
「カラ松は間違ってないよ」
 は?と思わず口走る。今、おそ松はなんと言ったか。数秒遅れてから処理する。
「確かに殺しちゃったのはマズイけど。もともとふっかけてきたのはこの男だろ?カラ松は被害者じゃんか。なのにカラ松は男の話も聞いてあげて、さらに助けてあげようとしたんだから。カラ松は優しいな」
「兄貴......!分かってくれるのか!」
「もちろん。俺はカラ松が良い奴だってちゃーんと知ってるから」
「ちょっと、おそ松兄さん!」
「んー?どうした一松?」
「何言ってるの、殺人だよ!?そんなの、どんな理由があったとしても......」
「あ〜......カラ松、これ着てお前は帰れ」
 そう言うとおそ松は、着ていた赤いパーカーを脱いでカラ松に手渡した。パーカーを脱いだおそ松はTシャツ姿で、この時期には寒そうだった。カラ松は素直に「分かった」とだけ答えて、青色を脱ぎ捨てて赤色を身にまとう。手足にこびりついた血も相まって、全身が赤色といった相貌であった。
「とりあえず顔は拭って、なるべく誰にも見つからないように。家に着いたら転んだとでも言っとけ。トド松はめざといから気がつくかもしれないけど、何か言われたら全部俺が指示したことにすればあいつも納得するだろう」
 じゃあまた後で。兄貴たちもはやく帰ってこいよと手を振って、一松が待てと静止する声をかける間もなく、カラ松は暗がりから明かりへと向かっていった。なぜ自分だけが先に家に帰されたのかだとか、死体はどうするのかだとかの疑問は一切無いようだった。かわりに盲目的なまでの、兄への信仰心がそこにはあった。
「おそ松兄さん、どういうつもり?」
 一松はひらひらと手を振るおそ松に詰め寄った。もともと悪い人相が、路地裏の薄暗さも手伝ってさらに凶悪なものとなる。それに臆することなく、おそ松は余裕たっぷりに一松を一瞥した。
「殺人罪って知ってるの?アイツは、カラ松は僕の目の前で容赦なく、躊躇することなく、心臓を一突きした。明らかに故意だった。確かに初めに被害にあったのはカラ松だったけれど、これを正当防衛とは言えない」
「それで?」
「は?」
「それで一松は、何が言いたいわけ?俺にカラ松を否定させたかったの?」
......ああ、あの目だ。あの目はいけない。
すこし赤みがかったおそ松の虹彩が、暗いのになぜだかよく見えた。一松を真っ直ぐに見ているようで、見ていない。薄汚れた壁にもたれ掛かって、一松を通り越し、貫いたその奥に潜む紫を呼び起こそうとしている。
 一松は反射的に目を逸し、かわりに穴が開くほどに地面を見つめた。おそ松がふっと笑った気配がした。
「人間誰だって、否定より肯定を求めるんだよ。カラ松は、誰よりも認めて欲しがってる。なら俺がそれを満たしてあげなくちゃ。なんたって俺は、アイツの唯一のお兄ちゃんだから」
「じゃあおそ松兄さんが一般感覚をアイツにちゃんと教えてやれよ!世間一般から見たかっこいいことだったり、世間一般から見た道徳観念を。アイツは馬鹿で、それでいて真面目だから、兄さんが良いと言えばそれは世界中どこからでも認められると思ってる」
「それで良いんだよ」
 一松が思わず顔をあげると、おそ松は思った通り笑っていた。想像と違った点を指摘するなら、それがひどく優しく、満足気なものだったことくらい。心底愛おしそうにおそ松は目を細めていた。赤い、赤い目をしているように一松には見えた。
「いつか、俺だけがカラ松を許して、俺だけがカラ松に縋られる世界になればいい。あいつは、変わらなくていい」
 ぞっとした。
「......狂ってる」
 けれどもおそ松の言うようになるのは、もうすぐのことなのだろうと一松には分かっていた。それほどカラ松はおそ松を絶対的に信頼していたし、そもそも疑うといった概念がないようにも見受けられたから。
「たとえおそ松兄さんが許したとして、世界はカラ松を許さない。この世界で、おそ松兄さんは神になんてなれない」
「だったら、世界が変わればいい。カラ松を全て肯定して、そのままでいられるように」
「そんなこと、」
「散々カラ松の事ばかり言ってるけど、俺は別にカラ松だけ変わらなければ良いと思ってる訳じゃないんだぜ?俺は皆に変わってほしくない。言っただろ、お兄ちゃんは寂しがりなの。俺達六人で一人なんだから、誰か一人でも欠けたら生きていけないんだよ」
「......そんなのただの依存だ」
「ああ、そうだ。依存だ。俺は六つ子が六つ子である事に依存してる。でもさ、それって、」
 一松、お前もだろ。
 一松が思わず一歩下がると、おそ松はその分の距離を詰めた。それを何度か繰り返すと、一松は当然、壁にぶつかった。背中越しに、ひんやりとした温度が伝わってくる。一松にはそれがやけに冷たいように感じられた。
 一松に、逃げ道はもう無い。
「一松はさ、俺達の中で一番まともだ。チョロ松なんかよりずっと常識人で真面目。言い方を変えれば普通。世間的に見て、俺達がおかしいのも理解してる。だからやろうと思えばニートなんかさっさとやめて、就職するのも簡単だろ?ブラック企業に行かされたときも、一人出世してたんだから。でもお前はそれをしない。攻撃的の皮を被って、普通じゃない奴のふりをしてる。何故そんな事をする必要があるのか?簡単だ。『世間的に見て普通ではない六つ子の中の一人』になるため。違うか?」
 一松に逃げ場は無かった。今この状況はもちろん、ずっと目を逸らしてきた自分自身の事についても。
「でも俺はそれを否定しないよ。普通な一松が、普通じゃない人間を装っていたとして、俺はそれも許す。それで一松が変わらないでいてくれるのなら、俺はそれで構わない」
 一松はおそ松の目に捕らわれたように動けずにいた。いつか読んだ本にあった、メデューサのようだと思った。目を合わせたら、もう逃げられない。石にされて、絡め取られる。
「そのうえで聞くけど、結局一松はどうしたいの?」
「僕は、」
 一松の喉は、からからに乾いていた。答えが分かっていて、それでもあくまでこちらに答えさせるあたり、おそ松は残酷だと思った。
「僕は--」
 それからおそ松がふっと空気を緩めさせて、「お前ならそう言うと思ってた」と囁く。
「後のことは俺に任せて、今回のことは忘れちまえ。ちょっとショックが大きかったみたいだし、忘れた方が楽だろ。大丈夫、みんな俺が何とかしてやるから」
 だからちょっとおやすみ。
 その瞬間、首に強い衝撃を感じて一松の視界は黒くなった。意識を失う直前に垣間見たおそ松の瞳に映った自分が、紫色の目をしていた、ような気がした。「十四松兄さん!?どうしたのそれ!」
 トド松の叫び声で、一松は目を覚ました。どうやら寝てしまっていたらしい。膝を抱えて座った姿勢を続けていたため、骨が軋み腰が痛い。思い切り伸びをしながら、そういえば何をしていたんだっけと考えたものの、眠りに落ちる前の記憶が曖昧で、霞がかったように思い出せなかった。はて、酒でも呑んだかと一松が首を捻っていると、トド松が十四松を連れてドタドタと居間に戻ってきた。
「一松兄さん!十四松兄さんが怪我しちゃった!」
 トド松の言う通り、十四松の膝は擦りむいて血が出ていた。痛そうだなと一松は顔をしかめる。幸い傷は浅そうで、十四松も「トッティ、俺大丈夫だよ!」と怪我よりトド松を宥めるのに必死だった。
「......とりあえず、止血したら?」
「止血......、そうだね!ありがと一松兄さん!」
「救急箱、救急箱!」と騒がしくトド松が二階へ駆け上がって行ったのを見送り、残された十四松と顔を見合わせて苦笑する。ドライモンスターだとか言われているけれど、トド松の心配性は昔から変わらない。二階からチョロ松兄さんの「うるさいよトド松!」という怒鳴り声が聞こえてきて、アイドルのDVD鑑賞を邪魔された怒りは暫く続くだろうなと一松は辟易した。そのまま二人の言い争う声が聞こえてきたので、仲が悪いようで実は良いのかもしれない。なんて一松が言えた話ではないけれど。
「その怪我、野球で?」
「うん。ホームに滑り込んだ時に、たまたま」
 何ともないんだけどなぁ、と十四松は唇を尖らせる。それでも心配されるのは悪い気はしないようで、十四松は幸せそうだった。
 トド松の反応は少し行き過ぎな気もするが、分からなくもない。出血を目の当たりにすれば誰だって動転するだろう。当然だ。血を無くして、生きることはできない。それが無ければ、息も出来ずに死んでしまう。一松だけではない。兄弟全員が身体に赤い血を巡らせていて、それを失ったら、誰も生きていけないのだ。
 そういえば、紫は赤と青を混ぜて創るんだっけ。なんとなく頭に浮かんだ考えを捕まえようとするが、上手くいかない。蝶のようにひらひらと舞って、そのうちに絡め取られて何処かへ消えてしまった。そのうち消えた蝶の搜索は諦めて、平日の昼下がり、ぬるま湯のような心地よさに一松は部屋の隅で再び目を瞑った。

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